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五箇山 | |
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北陸自動車道から東海北陸自動車道へ乗り換えて五箇山ICで降ります。 世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」のひとつ、五箇山です。 |
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五箇山ICまでもう少し | 五箇山IC到着 |
五箇山合掌の里と五箇山青少年旅行村 | 到着! |
雰囲気は最高ですね | 世界遺産のお土産屋さん? |
華やかな店内 | 特産品が並びます |
結構高さがあるんですね | ここで生活しています |
塩硝(えんしょう)の館って? | 塩硝は火薬の原料...はて? |
五箇山の合掌造り全景 | |
大きな茅葺(かやぶき)屋根ですね | 集落の人々で屋根を葺き替える「結」作業 |
ヨモギ、蚕の糞、蕎麦の土から塩硝を製造 | 加賀藩の火薬製造工場だったそうです |
五箇山民族館 | 「こきりこ節」はここ五箇山が発祥だそうな |
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷から「五箇谷間」となり、これが転じて五箇山となったそうです | |
合掌造りが目に入りやすく、なるほどと思いつつも、特別な想いが沸き起こる理由でもなかった。 しかし、塩硝の館にて真の姿が見えたとき、「凄い!」と言わざるをえなかった...。 加賀藩の前田家は、織田、豊臣、徳川と仕えてきたけど、他の大名から世渡り上手と言われたそうです。 100万石の経済力を持つ加賀藩は、徳川幕府からすると脅威となる。 言い換えると徳川幕府がいつ攻め入るかわからない。その機のために、塩硝を製造した。 五箇山の人々は床下で塩硝を製造し、原料となるヨモギ、蚕、蕎麦を作った。結果それらが特産品となった。 また、幕府の目から逃れるために、ひっそりと暮らし、塩硝は塩硝街道と呼ばれる道無き道を通って運ばれた。 目の前は庄川。船も橋もない輸送経路が、長い間の加賀藩だけの火薬庫となったのです。 |
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